集落とまつりのなかにある食文化03

坂本とぼたもち〜美味しいぼたもちの秘密とぼたもち祭り〜

熊本県南部に残る、祭りや暮らしに根付いたマニアックでユニークな「食」を紹介するこのコーナー。
今回も、私のふるさと坂本町のお話です。坂本では、毎年11月に町をあげての一大イベント『ふるさと祭り』が開催されます。簡単に言えば、秋の収穫祭です。

がしかし、坂本のこの祭りでは異常なまでにある食べ物の販売が目立ちます。少し会場を歩くと目にするのは

あれ、
ここにも!
え〜!! またここにも

そう、「ぼたもち」なのです!
坂本には地域振興会とよばれる自治組織が8つの地域ごとにありますが、その全ての地域振興会でぼたもちを販売しています。しかも、それぞれの地域オリジナルの作り方なので、見た目も味も食感も微妙に違っていて面白い!

↑ちょっとププっと笑っちゃうようなネーミングも。
(坂本町にある、日本の棚田百選のひとつ「日光の棚田」にちなんで名付けられたようです)

祭りの開始は9時半なのですが、なんと会場には朝8時すぎからぼたもちを買うために並ぶ人だかりが!!

一番大人気、百済来地域振興会が販売するぼたもちです。

実はこの百済来地域が、近年の坂本町のぼたもちフィーバーのきっかけとなったともいわれています。
というのも、今から20年ほど前は百済来地域振興会が祭りの会場で杵と臼でぼたもちをついて実演販売するのが名物となっていました。その頃から百済来のぼたもちは大人気で販売直後にすぐ完売。あまりにも好評なので、ここ数年では他の地域振興会でもオリジナルのぼたもちを販売するようになりました。それでもやっぱり百済来地域振興会のテントは毎年びっくりするほどの行列ができ、即完売するのです。
では、その人気の秘密は一体なんなのでしょうか。
私は今回こっそり、百済来地域振興会のぼたもち作りの会場に潜入してきました・・・!


11月9日土曜日、夜8時。ふるさと祭りの前夜です。

百済来地域振興会のぼたもち作りは、現在は廃校となってしまった旧・久多良木小学校のランチルームで行われます。地域へのお知らせには「午後8時よりぼたもち作りを開始します」と書いてありましたが、私が到着した8時にはとっくに始まっており、というかもう数十パック分のぼたもちが完成していました。


みなさん、一体何時に来られたのでしょうか・・・。
百済来のぼたもち作りのすごいところはなんといっても、機械を一切つかわず全ての工程において手作業、そして地域の方が全員ボランティアで協力をしているというところです。

そもそも、坂本で販売される『ぼたもち』は世間一般的に言う『ぼたもち』と少し違っているかもしれません。春のお彼岸に食べる、もち米を蒸かしてつぶしたものを餡子で包んで丸めたものを『ぼたもち』として認識している方が多いと思いますが(もちろん、地域によってさまざまな『ぼたもち』があるかと思います)坂本で言われている『ぼたもち』は、まず普通に白いおもちをついた後に、蒸かしたお芋をつぶしたものを入れ、さらにねっとりするまで混ぜあわせます。


その生地に餡子を包み丸めた後、きな粉をまぶして完成です。


百済来地域振興会ではこれを全て手作業で行い、そして何百パックも作らないといけないので、かなりの人手が必要です。毎年、まだ夜が明けない早い時間から集まってぼたもち作りをされていましたが、年々百済来のみなさんのぼたもちへかける想いが熱くなってきており、集合時間が早くなっているそうで、ついに今年は日付が変わる前からつきはじめることになったそうです。

もち米と芋を蒸かす人、もちをつく人、餡子を丸める人、餡子を生地に包んで丸める人、パックに詰める人、とみなさんとても手際よく、素晴らしいチームワークでそれぞれ作業がすすめられていきます。


今年はこんな可愛いお手伝いさんも。

小学校も廃校になり、このように地域のみなさんが顔をあわせる機会も少なくなってしまった今、この年に一度のぼたもち作りは懐かしい顔ぶれとの再会を楽しむ貴重な場にもなっているようです。「小学校の時のPTAのメンバーがたくさんおって、あの頃を思い出した~」と嬉しそうに話すお母さんも。顔なじみの仲間と昔話に華を咲かせながら丸めるぼたもちには、地域の思い出と愛情がたくさんつまっているのです。

さて、そんなわけで百済来地域振興会がきっかけとなり、今ではすっかり「坂本=ぼたもち」のイメージができあがっているわけですが、実は百済来ではなく別の地域に「ぼたもち発祥の地」があると言われています。坂本町の中谷地域にある、小崎地区です。


小崎地区ではなんと、通称「ぼたもち祭り」と呼ばれるお祭りが毎年12月15日に行われています。厳密には山の神祭りですが、この日山の神様へお供えされるのが『ぼたもち』なのです。

しかしこのぼたもち、よく見ると・・・


坂本のスタンダードなぼたもちと見た目が全然違うのです!

そう、餡子が外についていますよね。
もちろん、生地にはお芋がしっかり練りこんでありますので、やわらかくてとろけるよううな食感です。

小崎地区ではずっと昔からこの『ぼたもち』を山の神様へお供えするという伝統を守り続けています。以前は全世帯で祭り当日にぼたもちを作っていたんだとか。みなさん、坂本町の真のぼたもち職人です。ふるさと祭りの会場で、餡子が中にはいったスタイルのぼたもちがどんなに売れても、小崎地区は絶対に餡子は中ではなく、外なのです!(笑)

そんなぶれない小崎地区のぼたもち。一度は食べてみる価値アリです!

さて、ぼたもち大好き坂本桃子、つい長くなってしまいましたが百済来の美味しいぼたもちの秘密、そして坂本とぼたもちの知られざる歴史、みなさんお分かりいただけたでしょうか。今度坂本でぼたもちを食べる時はより一層、美味しく感じるかもしれませんね!

今後も熊本の主に県南地域に残る、祭りや暮らしに根付いたマニアックでユニークな「食」をご紹介いたします。

この記事を書いたひと

坂本桃子

2019年3月まで八代市坂本町(旧坂本村)に住んでいましたが、現在は水俣市の旧久木野村へ。
ふるさと坂本をこよなく愛し、ケーブルテレビの仕事を通じて知り合った地域のじいちゃんばあちゃんの家に勝手にあがって縁側でお茶をすることが一番幸せを感じるとき。
自称、「集落の奇祭研究家」。明日はあなたのムラのマニアックなお祭りにお邪魔しているかも。現在は、主人が発行している『水俣食べる通信』の広報部長も務めています。

集落とまつりのなかにある食文化02

八代市坂本町百済来地域で受け継がれる『きゅうり祭り』

熊本県南部に残る、祭りや暮らしに根付いた
マニアックでユニークな「食」を紹介するこのコーナー。
今回は、私のふるさと坂本町の百済来(くだらぎ)地域で古くから受け継がれている
『きゅうり祭り』をご紹介します。

 集落の田植えもすっかり終わった6月11日。
舞台は坂本町百済来の小川内(おかわち)地区です。

ここの地区公民館で毎年恒例の行事『きゅうり祭り』が行われるとのことでお邪魔してきました。
と言っても実は私は去年も参加させていただいたので、今年で2回目の参加となります。

このきゅうり祭りがなんとも不思議で…

いや、奇妙で…?

奇妙とか言ったら失礼かもしれませんが、本当に謎だらけの摩訶不思議なお祭りなのです。
一体どのあたりが不思議なのか、これからみなさんにお伝えしたいと思います。

 公民館に到着したら既にきゅうり祭りの準備が整っており、
集落のみなさんが続々と集まっていました。

さて、テーブルの上をのぞいてみると、、、、、
ありました!!

きゅうり、キュウリ、胡瓜…!!!

え!きゅうりしかない…

あ、みょうが饅頭もあった。(ほっ)

みょうが饅頭は八代地域(もっと南の方もあるかもしれませんが)のこの季節の郷土のおやつです。
あんこの入ったお団子をみょうがの葉っぱで巻いて蒸したもの。
みょうがの葉の香りがして、とっても美味しいのです。

…おっと、今回はみょうが饅頭の話は置いといて、
きゅうりの話にもどります。

さて、こちらの器に入ったものは「にんにく味噌」です。
味噌にすりおろしたニンニクと、砂糖を混ぜたもの。
これをきゅうりにつけて食べるのです。

いよいよ始まった、きゅうり祭り。

何をするかというと、みなさん、もうお分かりですね。

そう、ただひたすらに

きゅうりを

食べるのです。

 え~!!それだけかい!とビックリされた方も多いかもしれません。
がしかし、本当にただ、用意されたスライスきゅうりやスティックきゅうりを食べるだけなのです。
去年、初めてこのきゅうり祭りにお邪魔することになった時、
私はとても意気揚々と、きっと何かすごい意味があるにちがいない!
面白いいわれがあるにちがいない!と、「なにか」に期待して参加しました。

しかし、その「なにか」はありませんでした。

私は、集落のみなさんにそれはそれはしつこく聞きまくったのです。

「どうしてきゅうりを食べるのですか!?」

「いつからきゅうりを食べるようになったのですか?」

「川祭りとか河童は関係ありますか!?」

しかし、かえってくる答えは
「わからん」「意味はなか」「昔からしよるだけだけん…」。
え~!本当に~!?ととてもがっかりしていまいましたが、

逆に意味がないのに、やっている本人たちも意味が分からないけど
ずっと途絶えず毎年続いているってすごいことだよなって更に興味がわいてきました。

 この小川内地区も過疎化・高齢化がかなり進んでおり、子どもの姿はみられません。
集落は普段はひっそりとして、道を歩いていてもほとんど人に出会うことがありません。
そんな中でこのような祭りが行われ、ほぼ全世帯の住民が
一堂に集まることはとても貴重な機会なのだと、あるお母さんが教えてくださいました。

「こやん時しかみんなで顔ば合わせんけん。よかたいね。」

その言葉を聞いて、少し私はこのきゅうり祭りの意味を、意味はないのだけれども、
ずっと続いている理由が分かった気がしました。

少しだけ補足情報ですが、以前はこのきゅうり祭り、
近くにある山の神様の前で行っていたようです。

当時は子どももたくさんいたため、土俵をつくって子ども相撲を奉納し、
山の神さまにも鯛と鮎、そして麦の粉を挽いてはったい粉にしたものをお供えしていたそうです。
もう50年くらい前の話で、夕方から行っていたような…と、
まもなく80歳を迎えるお母さんが話してくれました。

子どもがいなくなり、人口も減り、祭りのスタイルは随分と様変わりしましたが、
それでもみなさん、きちんと毎年6月11日に集まり、ただただきゅうりをひたすら食べる。
そんな小川内地区のみなさんの生き方、暮らし方を知ると、
生きていくうえで本当に大事なことって何なんだろうと、いろんなことを考えさせられたのでした。

今後も熊本の主に県南地域に残る、祭りや暮らしに根付いたマニアックでユニークな「食」をご紹介いたします。

この記事を書いたひと

坂本桃子

2019年3月まで八代市坂本町(旧坂本村)に住んでいましたが、現在は水俣市の旧久木野村へ。
ふるさと坂本をこよなく愛し、ケーブルテレビの仕事を通じて知り合った地域のじいちゃんばあちゃんの家に勝手にあがって縁側でお茶をすることが一番幸せを感じるとき。
自称、「集落の奇祭研究家」。明日はあなたのムラのマニアックなお祭りにお邪魔しているかも。現在は、主人が発行している『水俣食べる通信』の広報部長も務めています。

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