

集落とまつりのなかにある食文化10
熊本県南部に残る、祭りや暮らしに根付いたマニアックでユニークな「食」を紹介するこのコーナー。
さて、今年のお盆も終わり、すっかり日常の生活に戻った…という方も多いかもしれません。お盆って、家族みんなが揃うので、ついつい美味しいものを食べすぎてしまいますよね。そして田舎のお盆では、各家庭に代々受け継がれるお盆のお膳や盆団子の風習もあって、これまた美味しそうなものがずらりと仏壇に並んでいると思います。
今回は、熊本県南部の一部の地域で目にする、ちょっと珍しい!?「盆だご(団子)」をご紹介します!
◆この盆だご、見たことありますか?
突然ですが、これ!みなさん、見たことありますか?
実はこれ、私のふるさと八代市坂本町でつくられる、お盆の「送り団子」なのです。
坂本町でも全地域ではなく、ほんの一部の地域で受け継がれているもので、地元では「しば巻きだご」とも呼ばれています。
「しば」とは「葉っぱ」のことで、この団子が包んである葉っぱ、「アカメガシワ」のことを指すようです。
近隣の芦北地域でも、この「しば巻きだご」と全く同じような見た目の盆団子をつくる風習があるようで、津奈木町では「おひょろさん」と呼ばれています。
盆団子には、8月13日にご先祖さまをお迎えする際に用意する「迎え団子」と、15日にあの世に送り出す際に持たせてあげる「送り団子」がありますよね。地域やご家庭によって、その団子の形や供える数など異なるとは思いますが、迎え団子は「精霊が帰ってきてお座りになるので、平たくしてあげる」とか、送り団子は「お土産として運んで持って帰るので、細長くする」とか、私も聞いたことがあります。
この「しば巻きだご」は、精霊送りのための送り団子です。
そのため、あの世に担いで持って帰ることができるよう、坂本町では割り箸など細長い棒に提げて、天秤棒のようにして供える家庭もあるそうです。
他にも、「あの世へ帰る途中、上り坂でつっかえないように小さめの団子を包んであげる」とか、「一人分が4個」「12個で1セット」など、同じ坂本町でも家庭や地域によって供え方が異なり、とても興味深いです。
◆「しば巻きだご」のつくり方
坂本生まれ・坂本育ちの私ですが、実は私の実家のあたりでは、このスタイルの盆だごは全く見かけません。初めて坂本町でこの「しば巻きだご」を見たとき、葉っぱでぐるぐる巻きにしてあるし、てっきり節句の「ちまき」かな?と思ってしまいました。これが盆だごだと知った時は、大きな衝撃を受けました。
この盆だごを、毎年いつもつくるというお母さんから作り方を教わってきたので、特別にご紹介いたしますね!
まず、梅雨前に収穫し、カラッカラに乾燥させたアカメガシワの葉を、水にもどしておきます。
団子をこねて、2枚重ねた葉の上部に団子を置きます。
両サイドと下部の余った葉で包み、紐でぐるぐる巻きにしていきます。
巻く時につかう紐は、植物のカヤだったり、棕櫚(しゅろ)だったり、昔は七島藺(しちとうい)を使っていた家庭もあったとか。
巻いていくと、こんな風に円錐形になります。あとはこれを、熱湯の中にいれて数時間ゆでるそうです。
私もいつかは、この「しば巻きだご」をつくってみたいと夢見ており…。
なんと今年のお盆に、見様見真似で初挑戦!
アカメガシワの葉は、事前に用意することができなかったので、近くに生えていたのを収穫し、生葉をそのまま使用しちゃいました。
カヤやシュロも、すぐ近くには見当たらなかったので、山いものつるを使って巻いてみました。これをゆでると、
完成!
かなり適当で、教わったつくり方からアレンジしちゃっておりますが、見た目はそれなりに「しば巻きだご」になりました!(ちなみに今回、お供え専用としてつくり、食べることはしませんでしたが、米粉と白玉粉でつくったのできっとご先祖さまは美味しかったはず!)
◆みなさんのご家庭の「盆だご」についても教えてください!
「しば巻きだご」のような一風変わった盆団子は、もしかすると他の地域にもたくさん隠れているかもしれません。みなさんの地域やご家庭に伝わる、ちょっと珍しい盆団子があれば、是非教えて下さいね!
目には見えない精霊の姿のためにお団子をつくり、お土産に持たせ、そしてそのお団子への細やかな心遣いも忘れない…。盆だごの風習から、そんな日本人の精神の美しさを改めて感じることができ、あたたかな気持ちになりました。
今後も熊本の主に県南地域に残る、暮らしや祭りに根付いたマニアックでユニークな「食」をご紹介いたします。
2019年3月まで八代市坂本町(旧坂本村)に住んでいましたが、現在は水俣市の旧久木野村へ。
ふるさと坂本をこよなく愛し、ケーブルテレビの仕事を通じて知り合った地域のじいちゃんばあちゃんの家に勝手にあがって縁側でお茶をすることが一番幸せを感じるとき。
自称、「集落の奇祭研究家」。明日はあなたのムラのマニアックなお祭りにお邪魔しているかも。現在は、主人が発行している『水俣食べる通信』の広報部長も務めています。
集落とまつりのなかにある食文化09
熊本県南部に残る、祭りや暮らしに根付いたマニアックでユニークな「食」を紹介するこのコーナー。今回、宇土市でなんとも珍しい「奇祭」があると聞きつけた筆者は、どうしても行ってみたくなり、初めて県南エリアを飛び出して取材へ行ってまいりました!
それが…
【佐野山王神社の祭礼「甘酒祭り」】
宇土市の中心部から車を約10分走らせると、とてものどかで静かな地域、花園町佐野地区にたどり着きました。ここに古くから鎮座している「佐野山王神社」が、今回の祭りの舞台です。
実は今回の祭り、ここ「山王神社」の年に一度の祭礼で、別名「甘酒祭り」とも呼ばれています。その名のとおり、甘酒がとても重要で、なくてはならないアイテムです。
取材をすすめるととても奥が深く、祭りの長い歴史の中でしっかりとしきたりが守られ、受け継がれていることが分かりました。これを読んでいるみなさんには特別に、その知られざる「甘酒祭り」の秘密をお伝えしたいと思います…!
【山王神社の使いの猿が、甘酒持って大暴れ!?】
時刻は午後1時をまわり、祭りの始まりの時間になりました。
たくさんのギャラリーがカメラを抱えて、あるものを撮影するために、今かいまかと待機しています。
さて、一体何がやって来るのでしょう…!?
ついにやって来ました!赤い着物を着て、頭に白い手ぬぐいを被った人が続々と集まってきます。ん、これは…
人?
いいえ、これは人ではありません…。
猿なのです!
猿に扮しているのは、ここ佐野地区に住む30歳までの男性のみなさん。
どうして猿なのかというと、この山王神社が猿を使いとする「山王権現信仰」と深い関わりがあるからで、甘酒祭りにおいての「猿」は神聖な存在として重要視されています。この猿たちが、とっくりに入った甘酒を奪い合い、神社や集落で甘酒をばら撒き、とにかくお祭り騒ぎで大暴れするのが「甘酒祭り」です。
ここでの「猿」は、年齢によって階級が分けられています。今年数えで30を迎える男性が「親ザル」。30歳になる者であれば何名いても全員が親ザルとなります。(30歳の者が不在の年は、最年長の者が親ザル)
<親ザルはいつも高い場所に偉そうに座っています>
そして25歳以上はサルの中老、25歳以下は子ザル。ちょうど25歳になる者が子ザルの頭である「青年長」と呼ばれます。ちなみにその年に初めて参加する一番若い男性は「新ザル」とされ、移動の際に荷物を運んだり、とっくりへ甘酒を補充したり、とにかく雑用係で大忙しです。
<とっくりに甘酒を補充する新ザル>
猿の上下関係は極めて厳しく、何をするにも全て絶対的な存在の親ザルの許可が必要です。そして子ザルや新ザルが仕事をきちんとしていなければ、親ザルが大声で怒鳴りつけ、とにかく厳しく注意します。
【「あまってもよかですか!」あまるって…何!?】
祭りは、まず神社の境内でお神酒を2升飲むところから始まります。
今年の甘酒祭り、参加している猿は全部で6名。6名で2升って結構な量ですよね。
さて、お神酒を飲んでほろ酔いになったところで、子ザルが「あまってもよかですか~!!」と大きな声で叫び、親ザルにお伺いを立てています。
「あまるって何!?」と私の頭の中に(?)マークが浮かんだまま、しばらく祭りの様子を眺めていると、いたるところで住民からこの「あまる」「あます」というキーワードが聞こえてきます。
『今どこであまりよらすと~?』『まだ、あまりよらすとかな~?』といった風で、どうやらこの甘酒祭りでの猿たちの儀式…とっくりに入った甘酒を奪い合って、かけあうこと自体を「あまる(あます)」と呼んでいるようです。
神社でも「あまり」、地区の氏子の御宅でも「あまり」、いろんなところで「あまる」猿たちですが、毎回いちいち親ザルの許可が必要で、許可がおりると「ホーライ、ホーライ」と言いながら甘酒の入ったとっくりを奪いあって、最後に奪い取った猿が命がけでそこらじゅうに甘酒をふりかけます。
この甘酒がかかった人や家は栄えると言われており、とても縁起の良いことなのです。
【甘酒祭りに登場する「食」】
この祭りで一番重要な物は、もちろん「甘酒」です。佐野地区には100世帯以上あるそうで、1軒から1本の甘酒がこの祭りのために用意されます。というわけで、100本以上の甘酒が毎年使われるのです。今はペットボトルの1本ですが、かつてはビール瓶(一升瓶)1本だったとのこと。それでも若い男性が多い時代、つまり猿がたくさんいた頃は、全員に盃(さかずき)がまわらないこともしばしばだったとか。
そしてこの祭りでは甘酒の他にもさまざまな「食」が登場します。祭り自体は4日がかりの一大イベントで、いろんな決まりや作法があるのですが、祭り関係者は一貫して「精進料理」をつくったり、食べたりします。
例えば、祭り前日には「母山」と呼ばれる佐野山王神社の母君が祀ってある山へ行き、生の米粉の団子や甘酒をお供えするそうです。今年、その担当だったという方からご丁寧に教えていただきました。
なんと、きちんと手順がまとめられたものが受け継がれており、それを参考にお供えをしてきたとのこと。素晴らしいですね。
また、祭り当日の朝は神社で神事が行われますが、その際にお供えされるお膳にもさまざまな決まりがあります。まず、お膳の数は全部で14膳。これは神様が7人いるとされるためで、しかも1の膳、2の膳とあるため計14膳用意するそうです。料理の内容は赤飯・生だご・ぜんざい・青菜(ほうれんそう)・ゆでた団子(あずきの煮たものをかける)で、お膳は全て「左膳」と決まっています。これは、猿が左利きであるからと言われており、佐野地区のみなさんはその決まりを今でもしっかりと守っています。
そして、猿が「あまる」際に、全ての場所で登場するのが「モリバチ」と呼ばれる酒の肴。これも精進料理と決まっており、内容としてはつけあげ・ごぼう天・からし蓮根・お煮しめなど。しかし近年は住民が減り、このモリバチを用意するのも負担が大きいため、猿たちが「あまり」に行く家庭全戸統一で、買ったものを用意しているそうです。
もしかしたら昔よりとっても豪華!?でもよく見てください、肉や魚は不使用。すべて精進料理です。
しかも、これを全て食べ終えないと甘酒の奪い合いや次の家庭へ「あまり」に行くことができない為、猿の人数が少ない今年はなかなか苦しそう…
<ギャラリーにも「お願い、食べて」と助けを求める猿>
【古くからの言い伝えを侮るなかれ】
今回取材中、一人の素敵なマダムと出会いました。なんと、今年親ザルを務める一人の猿のお母さんでした。すなわちボス猿!?いやいや、失礼しました、この祭りにとても熱心で孫が5人もいるおばあちゃん!(見えないです)
このお母さんは若くしてここに嫁ぎ、お姑さんからこの甘酒祭りの「いろは」をたくさん学んだそうです。祭り期間中は精進料理を食べるなんて当たり前!というわけで、この日もご自宅用にこんなに豪華な精進料理が!
全て一人でつくったそうです。
お姑さんから受け継がれたこととして、祭りで使うお皿は全部塩で清めるようにと厳しく言われていたとのこと。かつてはこのように、全て手作りで自宅に「あまり」に来てくれる猿たちへモリバチをお出ししていたわけですね。
また、代々伝わる話に、『猿の赤い着物を女性が触ってはいけない』というものがあるそうです。実際に以前、一人の女性が触ってしまった後に、包丁で指を切ったことがあったのだとか。古くからの言い伝え、侮れません。
それにしても昨年はコロナウィルスの影響で中止となったこの祭り。
2年ぶりの開催となりましたが、ちょうど30歳、親ザルで祭りが最後となる息子さんの晴れ舞台にとっても喜んでおられたお母さんでした。
【そして伝統は受け継がれる】
さて、ここまで甘酒祭りのマニアックなネタをお伝えしてきました。実はまだまだ、住民のみなさんや祭りを運営している「山王組」と呼ばれる役のみなさんから聞いた「おそるべし!」な話があるのですが、今回はここまでにしておきます。
祭りの取材をしている間、ひときわほっこりとした光景があります。それは、地区の小さな子どもたちが終始、猿たちについてまわり、一緒に「ホーライ!ホーライ!」と掛け声をかけていたことです。
『いつか自分も猿になって、ここで「あまり」歩くんだ…!』とでもいうような憧れのまなざし。私は思わず一人の少年に聞いてしまいました。
『僕も大きくなったら猿になるの!?どう!?やってみたい?』
『はい、いや…ちょっと…やりたくない…』
え~!!!!
今後も熊本県内の祭りや暮らしに根付いたマニアックでユニークな「食」をご紹介いたします。
2019年3月まで八代市坂本町(旧坂本村)に住んでいましたが、現在は水俣市の旧久木野村へ。
ふるさと坂本をこよなく愛し、ケーブルテレビの仕事を通じて知り合った地域のじいちゃんばあちゃんの家に勝手にあがって縁側でお茶をすることが一番幸せを感じるとき。
自称、「集落の奇祭研究家」。明日はあなたのムラのマニアックなお祭りにお邪魔しているかも。現在は、主人が発行している『水俣食べる通信』の広報部長も務めています。
集落とまつりのなかにある食文化08
熊本県南部に残る、祭りや暮らしに根付いたマニアックでユニークな「食」を紹介するこのコーナー。久しぶりに、私の故郷・坂本町の話題です。今回はとある地域で脈々と受け継がれている伝統保存食をご紹介します。
◆鮎が帰ってくるから「鮎帰(あゆがえり)」
八代市坂本町に、鮎帰(あゆがえり)という地域があります。清流球磨川からは少し離れた山奥の地域で、球磨川支流の油谷川に沿ってひたすら上流へ向かうと辿り着きます。
地域を流れる油谷川はとっても清らかで美しく、住民にとって癒しの川です。
そして実はこの川、夏から秋にかけて鮎がみられるのです。近年は随分少なくなったそうですが、それでも毎年この川に鮎がのぼってくるそうです。「鮎帰」という地名にも納得ですよね。
そんな鮎帰では、この美しい水を活かし、古くから地元で大切にされている伝統の味があります。その名も「かずら豆腐」です。
◆かずらで縛ってもくずれないほど硬い!かずら豆腐
かずら豆腐はもちろんその名のとおり、お豆腐です。ですが、きっとみなさんが想像しているお豆腐とは、ひと味もふた味も異なります。
まず、名前の由来ですが、「かずら」とはつる草の「葛(かずら)」のことで、葛でこのお豆腐を縛ってもくずれないほど硬いため、「かずら豆腐」と呼ばれるようになったようです。お豆腐って、柔らかくて簡単にくずれてしまうイメージですよね。そんなお豆腐の常識を覆す、世にも珍しい硬いお豆腐が「かずら豆腐」なのです。
葛で縛ると言ってもピンとこない方のために、もう少し身近な物で説明をすると、「分厚くて重たい本を上に乗せても大丈夫」なくらいの硬さだと、実際に聞いたことがあります。
◆今も昔も地域で重宝される伝統保存食
いつから、どうしてこのお豆腐がつくられるようになったのかははっきりしていないようですが、今となっては地域には欠かせない食材で、もちろん普段からも食されていますが、特にお盆やお正月にはなくてはならない存在です。お煮しめ用の豆腐として、重宝されています。数十年前までは、各家庭でかずら豆腐をつくり、自宅の軒下に吊るして保存する風景も見られていたといいます。
さて、肝心の味の方ですが、口にいれると一気に大豆の香りがひろがり、ぎゅっと濃縮された濃厚な大豆そのものの味を楽しめます。かずら豆腐は、固める工程でかなりの重しをかけ、水分を極限まで切ってあるため、冬場は長期保存ができます。そしてこのお豆腐を味噌に漬けた「かずら豆腐の味噌漬け」も近年では地元の特産品となっており、なんともなめらかな口どけで、まるでクリームチーズのような味わいのある贅沢な一品です。
きっと食べるものが少なかった時代、先人たちの知恵によって生まれた保存食だったのではないでしょうか。
◆地域でここだけ!「生活研究グループ鮎帰会」の取り組み
元々は家庭ごとにつくられていたかずら豆腐。実は現在は、このお豆腐をつくっているところが一箇所しかありません。それが、地元鮎帰地域でもう40年近く活動を続けている「生活研究グループ鮎帰会」です。
会員は全員、鮎帰地域のお母さんたちで、中には80歳を超える方もいらっしゃいます。会を創設された初代会長が亡くなった後は、亀田宏子さんが会長として、年配のお母さんたちを引っ張り、精力的に活動されています。
会ではこれまで、食の分野や加工に関するの数多くの賞を受賞し、亀田さんは県認定の「くまもとふるさと食の名人」にも選ばれています。そんな亀田さんが、一番力をいれているのが、このかずら豆腐の製造なのです。
先代の会長が生前、『かずら豆腐だけはつくり続けてほしい』と仰っていたことから、亀田さんもその教えと想いをしっかりと受け継ぎ、週に一度のかずら豆腐の製造に精を出します。
かずら豆腐を製造するためには、重たいものを持ち上げたり、運んだりと、なかなかの重労働です。高齢者には厳しい面もあり、年々高齢化していく会員を心配する声もきかれますが、まだまだみなさん現役です!
◆コロナ、そして豪雨災害を乗り越え…!さかもと復興商店街でも販売中
最後に、そんな鮎帰会のみなさんがつくる、美味しいかずら豆腐が購入できる場所をお知らせします。坂本町内に7月にオープンした「さかもと復興商店街」内の鮎帰会の店舗にて購入可能です。
実は鮎帰会も去年からのコロナウイルス感染拡大の影響を受け、加工所のある施設自体が利用不可となり、製造ができない日々が続きました。そして、更に追い打ちをかけるよう、7月の豪雨災害で坂本町が壊滅的な被害を受け、豆腐の製造どころではない状況でした。それでも翌月の8月末には製造を再開し、またたくさんのかずら豆腐ファンの元へ製品が届けられています。
鮎帰会が他にも開発して商品化している「ばんぺいゆ味噌だれ」も大人気で、揚げ物にも、スティック野菜にも、お料理にもなんでも活躍する素晴らしい商品です。気になる方はこちらもあわせて是非、おためしくださいね!運がよけば、復興商店街で会長の亀田さんにも会えるかも!?
今後も熊本の主に県南地域に残る、暮らしや祭りに根付いたマニアックでユニークな「食」をご紹介いたします。
【生活研究グループ鮎帰会】
住所:八代市坂本町鮎帰ほ1512
電話: 0965-45-3551
【さかもと復興商店街内・生活研究グループ鮎帰会】
営業日:金曜日~日曜日
営業時間:10:00~16:00
場所:道の駅坂本からすぐ近くの仮設店舗商店街となっています
2019年3月まで八代市坂本町(旧坂本村)に住んでいましたが、現在は水俣市の旧久木野村へ。
ふるさと坂本をこよなく愛し、ケーブルテレビの仕事を通じて知り合った地域のじいちゃんばあちゃんの家に勝手にあがって縁側でお茶をすることが一番幸せを感じるとき。
自称、「集落の奇祭研究家」。明日はあなたのムラのマニアックなお祭りにお邪魔しているかも。現在は、主人が発行している『水俣食べる通信』の広報部長も務めています。
集落とまつりのなかにある食文化07
熊本県南部に残る、祭りや暮らしに根付いたマニアックで
ユニークな「食」を紹介するこのコーナー。
さて、最後に更新してから随分と時が流れてしまいました。お久しぶりの今回話題は、私の住む水俣でこの時期によく目にする、アレです!(今回は、マニアックではなくとってもメジャーかもしれません)
12月に入ると、水俣のいたるところで見かけるこんな風景。
で、でっかい大根が
こんなにたくさん
近寄るとこんな迫力が!!
なんだか、芸術的な作品にも見えてくるから不思議です。
さて、これ実は水俣や芦北地方では郷土の漬物として長年愛されている『寒漬(かんづけ)』と呼ばれる漬物用の大根を干しているところなのです。
一番寒くて、乾燥する時期に大根を寒風にさらして干し、いくつかの工程を経て漬物へと変身します。今回は少し簡単にですが、その様子をご紹介します。
まず、収穫した大根をそのまま2週間ほど干します。
そして、塩漬けにしてまた2週間以上寝かせ…。
これが塩漬けして2週間ほど経った大根です。
私が住む水俣の越小場地域の食の名人、本井さんによると
両手で曲げた時に「つ」の字になるまで漬けておくのだとか。
さあ、ここまできたらあと一息!
再度寒空の下に吊るして、からっからになるまで乾燥させます。
私はこの寒漬用の大根が干してある風景が大好きで、今年は水俣のいろんな地域をうろつき、見かけたら畑にお邪魔して見学させていただきました。水俣のじいちゃんばあちゃんたちに、変なヤツだと思われたかもしれません…。笑
この御宅なんて、たくさんの経験を積みあと一歩で完成しそうなゴール間近の大根たちと、これから同じ道を歩む、まだこれから自分の身に何が起こるか分かっていない収穫されたばかりのみずみずしい大根たちのコラボレーションが…!なんとも言えません…!
さあ、長い時間をかけて完成した寒漬用の干し大根がこちら。
これを新聞紙にくるんで、長期保存することもできるそうです。
これは2年もの。私が去年、近所の方にいただいたものです。
さて肝心の食べ方ですが、この干し大根をたっぷりの水で戻し、塩抜きをします。
そしてうすーくスライスして、醤油・うす口醤油・みりん・砂糖・酢などの調味料を合わせて煮立たせ、味付けします。これでやっと、『寒漬』として食べることができるのです。
そして寒漬はなんといっても、各家庭によって使用する調味料の配合や、そもそもの干し大根の塩抜き加減、塩抜き後にスライスするときの厚みなどバラバラ。
その家庭ごとにいろんな味の『寒漬』があります。
私はちょっと厚めに切って、コリコリとした食感を楽しむのが好きです。
味付けは、集落の食の名人の母ちゃんたちに教えてもらった秘伝レシピです!
お好みでショウガや昆布をいれてもバッチリ!白いご飯が無限にすすみます…笑
今回、数名のお母さんたちにお話しを伺いましたが、年々つくる人も少なくなってきたとのこと。
だけど、いつも卸している直売所のお客さんから「寒漬大根はまだ?」「今年はいつ頃出る?」と尋ねられたりして、『楽しみにしている人がいるからやっぱり今年もつくるのよ!』と仰っていました。
遠くに住むお子さんやお孫さんたちも楽しみにしていて、できたらたくさん送ったりするそうです。
私も初めて見た時は、「なんだこの黒い、醤油味が濃そうな漬物は!?」とびっくりしたのですが、実際食べてみて、つくってみてなんのなんの。南九州特有のあま~い甘い味付けで、たくさんの丁寧な工程を経て完成する『寒漬』のすっかり虜となってしまいました。
一番寒い季節に完成するのですが、食べるとなぜかあたたかさを感じる、地域の自慢の味なのです。
2019年3月まで八代市坂本町(旧坂本村)に住んでいましたが、現在は水俣市の旧久木野村へ。
ふるさと坂本をこよなく愛し、ケーブルテレビの仕事を通じて知り合った地域のじいちゃんばあちゃんの家に勝手にあがって縁側でお茶をすることが一番幸せを感じるとき。
自称、「集落の奇祭研究家」。明日はあなたのムラのマニアックなお祭りにお邪魔しているかも。現在は、主人が発行している『水俣食べる通信』の広報部長も務めています。
集落とまつりのなかにある食文化06
熊本県南部に残る、祭りや暮らしに根付いたマニアックでユニークな「食」を紹介しているこのコーナー。さて、これまで祭りのことばかり続いていましたが、今回は暮らしの中にある季節の「食」の紹介です。
◆端午の節句に食べるアレ!?
5月といえば端午の節句。現代では5月5日は「こどもの日」と呼ばれ、男の子の成長を祝う日として知られていますよね。
私は現在、水俣市の山間部に住んでいますが、この時期我が家にはご近所さんからとあるお菓子がたくさんやってきます。
それがこちら。
ん…!?何かが竹の皮に包まれている…。
手に取るとずっしりとしていて重量感アリ。触るとプニッとして柔らかい。
さあ、気になる中身は…
じゃーん!
何やら透き通った琥珀色の物体が現れました!
そう、これは『あくまき』と呼ばれる、郷土菓子。
『あく』=『灰汁(アク)』であり、その名の通り、植物の木や葉を燃やした灰でつくられた灰汁に一晩もち米を漬け、それを竹皮で包んで数時間煮たらこのようになるのです。
アクに浸けてあった餅…?えっ!!それ美味しいのっ!?と、初めて見て聞いた人はきっと戸惑うであろう、一見奇妙でミステリアスなこの餅菓子。
◆薩摩の伝統保存菓子『あくまき』
実は、あくまきは鹿児島県の端午の節句に食べる定番のお菓子としてよく知られ、いわば鹿児島の人にとってはソウルフード。
ところで端午の節句といえば『ちまき』ですよね。ちまきも関東と関西では見た目も中身も全く異なっており、東の方では中華ちまき、西の方では笹に包まれた円錐形のお団子ちまきが主流のようで、同じ日本でも様々なちまき文化があって興味深いのですが、鹿児島における『ちまき』はこの『あくまき』のことを指します。
鹿児島女子短期大学の研究ブランディング部会が発行した『鹿児島の食文化読本』によると、あくまきは
“灰汁の持つでんぷんの糊化促進作用と、糊化したでんぷんが固くならない作用により、モチモチとした食感を長く保つことができます。また長時間煮ることやアルカリ性の灰汁による細菌増殖抑制効果により、保存食として優れ、薩摩藩の兵糧食としても使用されたと伝えられています。”
とあります。
そんな薩摩の立派な保存食である郷土菓子が、なぜかここ水俣の地でも端午の節句に食べる風習が残っており、よくよく調べてみると、水俣だけでなく、お隣の津奈木町や芦北地域、球磨村や人吉地域でもみなさん当然のように『あくまき』を食べていることが判明しました。県南地域はやはり鹿児島に接しているだけあって、食文化も影響を受けているようです。
だけど私は水俣に住み始めるまで、出身地である八代市(坂本町)であくまきを作っている人も、食べている人も、売ってある店も見たことがありませんでした。どうやら、あくまき文化の北限は八代市と球磨村・芦北町の境くらいにありそうです。
◆熊本県南地域別の『あくまき』事情
熊本県南部地域でも脈々と受け継がれている『あくまき』文化に興味がわき、各地の方にオンラインで聞き取り調査をしてみました。
その結果、水俣や葦北郡では、いわゆる鹿児島で食べられている『あくまき』と同じ製法、食べ方のようでした。葦北郡で調査をしたのは、津奈木町や芦北町の田浦地域、湯浦地域、大野地域の方ですが、ほぼ全域であくまきの文化が根強く残っていることが分かりました。
しかし、球磨村や人吉地域では面白い結果となりました。見た目は全くもって『あくまき』そのものなのですが、竹皮を開いてみると真っ白な餅が現れ、その中にあんこがたっぷり入っており、それを『ちまき』と呼んでこの時期に食べる風習があるとのことでした。(球磨村の神瀬地区・あさぎり町・人吉市など)
(人吉市の村口和彦さまより写真を提供いただきました)
そのうえ、人吉地域の一部では薩摩由来の『あくまき』も作ったり食べたりするそうで、鹿児島県民や水俣・芦北地域の人が、人吉・球磨地域で『ちまき』と言うと、話がかみ合わないことがあるかもしれません。人吉・球磨のみなさんにとって『ちまき』と言えば、一見見た目は『あくまき』と同じ竹の皮に包まれた、だけど中身は餡子入りの白い餅菓子のことを指すのが一般的であるからです。地元ではしっかり使い分けがされていることが分かりました。
我らが水俣の久木野地域では、地域おこしの拠点として平成6年からさまざまな取り組みを行っている「愛林館」がこの時期手作りのあくまきを販売します。久木野地域では『あくだご』という呼び方だそうで、この愛林館のあくだごが大人気なのです。
今年は46本製造され、県内外から(遠いところでは新潟県から)の購入があり、即完売。愛林館のあくだごは何と言っても材料にこだわりがあります。灰汁は無肥料・無農薬の大豆の茎や葉を燃やして取った灰からつくった自家製で、もち米もこの地域に古くから伝わる「万石(まんごく)」という品種の香り米を使用。この香り米は炊いた時にポップコーンのような香ばしいかおりが漂うのです。そんなこだわりの材料で手作りされた『あくだご』、美味しくないわけがありません。
ところで、愛林館のスタッフの方から聞いた話によると、久木野地域のとあるおばあちゃんが昔、あんこ入りのあくだごを作っていたそうです。これはまだまだ、久木野地域だけでもリサーチの余地あり、です!!!
ちなみに、愛林館ではリクエストが多ければ6月に再度『あくだご』を製造、販売するかもしれない、とのこと!気になる方は、愛林館に直接お問い合わせ下さい。(最後に問い合わせ先を掲載しています)
◆あくまきの食べ方いろいろ
肝心のあくまきの味についてですが、食感はわらび餅に近く、口に入れるとアクの風味がふわ~っとひろがり、なんとも大人の味です。子どもの時は苦手だったけど、大人になったら大好きになった!という方も多いようです。
そしてあくまきは何と言っても、きな粉と黒糖をまぶして食べるのが一番オーソドックスな食べ方のようです。
ほかにも、砂糖醤油、黒蜜、ハチミツ、中にはわさび醤油!と言った人も。アレンジもいろいろで、ネットで調べていると『あくまきパフェ』だとか『あくまきのナゲット』だとか、本当にみなさん、いろんな食べ方をされていました。いや、それも納得…。去年から私も水俣市民になり、このあくまきを本腰入れて食べるようになりましたが、結構味に飽きちゃうんですよね!(笑)飽きちゃうだなんて、あくまきに失礼極まりないですが、食べたことのある方ならきっと分かってくださると思います。あくまきってもち米なのでかなりボリュームがあり、おやつで食べるなら一切れで十分です。そして1本ならまだしも、ご近所さん数軒から一気にどばっと届いたりして、(しかも1軒から3本きたりする)受け取る時の笑顔がひきつってしまうのを必死に隠したりしています。(え、私だけ!?)ワンシーズンでも意外と濃い付き合いになるあくまき、きな粉と黒糖以外にも、いろんな味を試してみたくなるものです。というわけで私もいろんな食べ方に挑戦してみました。
【その①】バニラアイスと食べる
わらび餅のような感覚でバニラアイスを添えて、抹茶パウダーをかけて食べてみました。これがなかなかいけます。抹茶パウダーが合う!とネットで書いている人をみかけたのでマネしてやってみましたが、あくまきのほろ苦さに更に抹茶の苦みがプラスされ、ちょっとクセになります。
【その②】ぜんざいに入れて食べる
あんこ入りのあくまきがあるほどなので、きっとあんことは相性が良いのだろう!ということでぜんざいに入れてみました。写真は少し分かり辛いですが、あくまきとぜんざい、合います。我が家ではあんこと一緒に食べるのがしばらくブームでした。
【その③】衣をつけて揚げて食べる
あくまきの天ぷらや、から揚げが美味しいと噂で聞き、やってみました。結果、揚げ餅のようなものが出来上がり、これがとっても美味しかったのです。個人的には一番ハマりました。おつまみとかにも良いかもしれません。
この他にも、ココナッツシュガーをかけたり、塩で食べたりといろいろ試しましたが、やっぱりなんだかんだ、黒糖きな粉が一番しっくりくるなあ~と思ったところです。って私、今シーズンどれだけあくまきを食べたのでしょうか。ゾッとします。(笑)
あ、ひとつ大事なことを言い忘れていましたが、あくまきを切る時は包丁やナイフを使うのではなく、包んである竹皮を裂いて紐にして、その紐であくまきを縛ってひとつひとつ切りわけます。
(『鹿児島の食文化読本』より)
さてみなさん、端午の節句はもうとっくに終わったと思っていませんか?もちろん、新暦の5月5日は過ぎ去ってしまいましたが、旧暦の端午の節句はまだまだこれからです。今年は、6月25日がその日にあたります。我が家も6月25日に合わせてあくまき作りにチャレンジしてみようかなあ~と企み中です。みなさんも是非、旧暦でも季節の行事を楽しんでみてくださいね。
今後も熊本の主に県南地域に残る、祭りや暮らしに根付いたマニアックでユニークな「食」をご紹介いたします。
※愛林館の『あくだご』に関するお問い合わせ先
【愛林館】
住所:水俣市久木野1071-4
電話:0966-69-0485
メール:airinkan@giga.ocn.ne.jp(Facebookページのメッセージでも問い合わせ可能)
2019年3月まで八代市坂本町(旧坂本村)に住んでいましたが、現在は水俣市の旧久木野村へ。
ふるさと坂本をこよなく愛し、ケーブルテレビの仕事を通じて知り合った地域のじいちゃんばあちゃんの家に勝手にあがって縁側でお茶をすることが一番幸せを感じるとき。
自称、「集落の奇祭研究家」。明日はあなたのムラのマニアックなお祭りにお邪魔しているかも。現在は、主人が発行している『水俣食べる通信』の広報部長も務めています。
集落とまつりのなかにある食文化05
熊本県南部に残る、祭りや暮らしに根付いたマニアックでユニークな「食」を紹介するこのコーナー。またまた今回も、熊本県の南部、芦北町のお祭りについてです。
と言っても芦北もとても広くて、前回登場した大岩地域からかなり離れている「古石」という地域の古田地区にお邪魔してきました。
さて何のお祭りかというと、2月の最初の午の日に全国的に行われている『初午祭』とも言われる『稲荷祭』。稲荷神社は「おいなりさん」と呼ばれたりもして、みなさんの町にもきっと必ずあるよく目にする神社ではないでしょうか。稲荷神社では家内安全だったり商売繁盛だったり、いろんな願い事が叶うと有名ですが(知り合いにはなくした物が見つかる神様!と言う人も)実は元々は農耕の神様だったようです。
私は水俣の嫁ぎ先でも坂本の実家でもお米をつくっているので、よし!お稲荷さんに今年の米作りの豊作を祈ってこんばんね!(八代弁で失礼)と意気揚々と古田地区へ向かいました。
毎年2月の初午の日に行われる稲荷祭。今年は2月9日でしたが、古田地区では旧暦で稲荷祭を行うため、3月4日がその日にあたりました。個人的に祭りは旧暦!と思っているので、旧暦開催はとってもテンションがあがります。
祭り自体は夜7時から始まるとのことで、前夜祭でもないのに珍しいな…と思いながら、(後にその理由が分かる)まだ明るいうちにお稲荷様を見たかったので、少し早めに伺いました。
古田地区のお稲荷様は、農家民宿「縁(えにし)」として有名な有吉さんの御宅の敷地内に鎮座しています。
ほら、お稲荷さまと言えば!やっぱりキツネがいました。
古くより稲荷神社を象徴する動物はキツネとされ、お供えものはキツネの好物の油揚げや、いなり寿司等と聞いたことはありませんか? さて、今回の古田地区の稲荷祭、一体何がお供えされるのでしょうか。ワクワク、期待が膨らみます。まあやっぱり、定番のいなり寿司なのかな~♪ 私、おいなり大好きなんだよな…へっへっへ。と、頭の中はすっかりいなり寿司一色。
いやしいことばかり考えていると、今回偶然にも祭りの「座」(お世話役)を担当される有吉さんが祭り開始前にとても貴重なものを見せてくださいました。
「稲荷祭順番控帳」と書いてありますが、なんとこの稲荷祭に関する規程や座の担当者名が昭和3年のものからしっかりと記録されているのです!
す、すごい!とても貴重な史料です。約90年前の記録を見ることができるなんて~!と、大興奮してしまいました。
さて、祭りの時間が近づいてきたので、会場である地区公民館へ向かいます。
「座」を担当される有吉さんが一人で準備をすすめていきます。
まずは、この稲荷祭と11月のお祭りの時の年2回しかお披露目されないかけじくを掛けます。
はい。かけました。って思っていたよりもえらい控えめな可愛らしいかけじくでした。(笑)
隣に貼ってある、「土砂災害のおそれのある区域図」の方が目立っています。
いや、だけど、こちらも大事なものですね。
ほら、ちゃんとキツネもいます。
さきほどの古い記録にも書いてあるようなのですが、かつては「座」の人がこの祭りのために煮しめや赤飯、吸い物、酒に米に…といろんなものを準備しなければならず、とても負担が大きかったため、近年では簡素化しているそうです。飲食物は各家庭から1品持ち寄り制となっています。今回、有吉さんは奥様手作りのお赤飯を用意されていました。
それでも「座」の人が必ず用意しなければならない、ある食べ物がありました。それだけは、昔からずっと変わらない、大事な大事な、この「稲荷祭」のメインのお供えものです。
さあ、それは何かと言いますと…
じゃーん! はい、これがそう。なんと「お豆腐」なのです!
お豆腐一丁、お神酒と一緒にかけじくの前にどーん!っとお供えされました。
そしたらまずは、「座」の有吉さんがしっかりとお詣りをします。
よし!これで祭りの準備は整ったようです!(笑)
開始時刻の19時をまわり、続々と集落のみなさんが集まってきます。現在は10軒ほどでこのお祭りを行っているそうで、この日は8名集まるとのことでした。みなさん、公民館に到着したらまずは、お稲荷さんへ詣ります。
豆腐に
向かって
一礼…
違います。お稲荷さんでした。だけどもう、豆腐しか目に入ってきません。なぜ、どうして豆腐一丁なのか…はやく理由が知りたくてたまりません。
さて、豆腐に気をとられているうちに、テーブルにはみなさんが持ち寄った品々が並んでいました。
えっと…ガッツリ酒のつまみばっか!あんたら飲む気満々やないかい!(笑)
とまあ、祭りの醍醐味はこれですよね。気のおけない仲間たちと時間を気にせずとことん飲む! 昔の人たちも、実はそのために祭りを始めたのではないかなあ~と、思ってしまうことがあります。
ね、豚足ですよ、豚足。
まさかムラの集落のお祭りで、豚足と出会うとは思ってもいなかった!(笑)
それにしてもみなさん、本当に楽しそうに飲まれます。
こういう時に、集落の団結力というか、普段の暮らし方まで見えてくるから不思議です。
いい感じに酔いがまわってきた頃、昔のお話もたくさん聞かせていただきました。
ここにいらっしゃるみなさんのお父さんたちの代の頃は、このお祭りに30人くらい集まっていたそうです。その頃は女性の参加も多数あったけど、今は飲みたい父ちゃんたちしか集まらなくなったんだとか。(笑)
また、ここ古田地区ではかつて十五夜の綱引きや相撲も行っていたし、川祭りもやっていたそうです。残念ながら今はもうされていないとのこと。当時の様子を懐かしそうに語ってくださいました。
さて、そろそろお開きかな~という雰囲気になり、な~ん、稲荷祭という名のただの飲み会たい!これじゃレポート書けんばい!と一人心の中で呟いていたところ、「座」の有吉さんが何やら怪しい動きを始めました。
…あの、お供えもののお豆腐に手を出した!
それを箸で切った~!!!しかもかなりワイルド~!!!
そして、参加者全員に分けて、みんなでいただきます。
もちろん、私もいただきました。「醤油ばかけて食べなっせ!」と言われたので、そのようにさせていただきました。
みなさんも美味しそうにお豆腐を食べます。
この儀式は毎回必ず最後に行うそうで、これがこの古田地区の稲荷祭で古くから続いている、大事な恒例の儀式なのです。本来であれば、お稲荷さんなので油揚げ等をお供えするものですが、みんなで分けやすいように古田地区では「お豆腐」をお供えしているのだとか。最後の最後にようやく、どうしてお豆腐一丁が供えられていたのか分かり、スッキリ!
すっかりできあがった古田地区のみなさん、『あんた、集合写真ば撮ってくれんね!』とのことで、はいもちろん喜んで!
里山のムラではなくなっていく祭りや行事が多いけれど、一方で今もひっそりとこぢんまりと、少ない人数でも和気あいあいと楽しく行われているものもあります。
昔のやり方よりも随分、簡単になってしまったかもしれないけど、祭りを続けていくためにはそのような工夫も大事ですよね。やめてしまうより、形を変えても細々と途絶えさせることなく続けていくことの方が私はベターかなあと思います。今回の古田地区の稲荷祭にお邪魔して、より一層、そんなことを思いました。
今後も熊本の主に県南地域に残る、祭りや暮らしに根付いたマニアックでユニークな「食」をご紹介してまいりますので、よろしくお願いしますっ。
2019年3月まで八代市坂本町(旧坂本村)に住んでいましたが、現在は水俣市の旧久木野村へ。
ふるさと坂本をこよなく愛し、ケーブルテレビの仕事を通じて知り合った地域のじいちゃんばあちゃんの家に勝手にあがって縁側でお茶をすることが一番幸せを感じるとき。
自称、「集落の奇祭研究家」。明日はあなたのムラのマニアックなお祭りにお邪魔しているかも。現在は、主人が発行している『水俣食べる通信』の広報部長も務めています。
集落とまつりのなかにある食文化04
熊本県南部に残る、祭りや暮らしに根付いたマニアックでユニークな「食」を紹介するこのコーナー。今回は、芦北町大岩地区の不思議な小正月(こしょうがつ)行事についてお伝えします。
小正月行事といえば年が明け、正月の終わりにあたる1月15日、または1月15日前後に行われます。現代ではあまり馴染みのない方が多いかもしれませんが、古くから日本ではこの日に五穀豊穣や無病息災などを祈る行事が各家庭で催され、ひとつの節目として大切にされていました。
今回の舞台となる芦北町大岩地区では、この小正月行事を旧暦の1月15日前後に行っています。今年の旧暦小正月は2月8日。翌日が日曜日ということで、2月9日に開催されました。
さて、こちらは大岩地区小正月行事のメイン会場、地区公民館前です。朝8時半にはすでにたくさんの地域の方が準備を開始していました。
お餅をついて、
女性陣が手際よく丸めています。通常のお餅よりも少し小さめ、そして紅白2色あります。
さて、このお餅。一体何に使うのでしょうか?
しばらくするとたくさんの柳が登場しました。そしてみなさん、この柳に先ほどの紅白餅を突き刺し始めました。
しかも、餅だけでなくふかした里芋もあります。
そう、みなさんこうやって柳餅をつくっているのです。この柳餅、かつては各家庭ごとにつくり、家の大黒柱にくくりつけて無病息災・五穀豊穣を祈願していたそうです。現在は地域住民みんなでつくり、公民館と観音堂へ飾ります。
柳餅ができたら、次は『もぐら打ち』を行います。もぐら打ちも豊作を祈る伝統的な習わしとして、九州各地の農村で行われていましたが、現在は残っているところも少ないようです。
一般的には子どもたちが手作りの棒(もぐらんぽと呼ばれたりもします)を持って、家の庭や田畑を思いっきり叩きます。(もぐらを追い払う)
この時に、叩きながらはやし言葉をうたったりするのですが、このはやし言葉が各地で異なっていて、面白いのです。
大岩地区のもぐら打ちのはやし言葉は「もぐらんぽ、もぐらんぽ、もぐらうち、もぐらうち」です。(ちなみに私の故郷、八代市坂本町では「14日のもぐらんぽ、もぐらは山に帰ってけー!」でした。)
大岩地区では子どももすっかりいなくなり、現在は大人も一緒になってもぐら打ちをします。この日は大岩出身のお母さんたちが子どもを連れて里帰りしていたり、大岩地区外からのお子さんの参加もあって、なんとか子どもの姿もみられてホッとしました。もぐらを追い払ってもらった家庭のご年配のお母さんも、元気な子どもたちの姿を見てとっても嬉しそうです。
この日、おそらく一番長寿であろう一人のお父さんと出会いました。お名前は鬼塚一貞さん。御年87歳です。
実はこの鬼塚さんが行政区長をされていた平成14年に小正月行事の復活をされたそうです。これまでずーっと続いていたわけではなく、しばらく途絶えていたものを見事復活された鬼塚さん。鬼塚さんがまだ小さかった頃、当時大岩小学校の同級生は48人もいたそうです。当時の様子を懐かしそうに語ってくださいました。
さて、もぐら打ちが無事に終わったら、いよいよ最後の小正月行事へとうつります。
最後は公民館から少し離れた、とある家庭のお庭まで歩いて移動します。
さあ、ここからが今回のメイン、(あくまでも私の中でです。笑)『柿の木なれなれ』の始まりです!
一本の柿の木を前に、一人のお父さんがナタを持ってきました。そして何やら歌をうたい始めます。
「なーれなれ、ならんばならんば、切って切って切ったおすぞ〜!東の枝にもぶーらぶら、西の枝にもぶーらぶら、なーれなれ」と言いながらなんと、柿の木に傷をつけはじめたのです!!
えー!痛い!痛いよ〜!と思わず叫びそうになりました。それくらい豪快に傷をつけます。するとそこへ別のお父さんが登場しますが、なんと手には山盛りの白いご飯!?
一体何が始まるのだろうと思っていたら、先ほど傷つけた柿の木にそのご飯を塗りたくっているではありませんか〜!
えー!?何、どういうこと?まさか柿の木にご飯を食べさせている!? そう思うと、傷をつけた部分が口のようにみえて奇妙というか、面白いというか…。
この『柿の木なれなれ』、寒い冬に怠けるな!ということで柿の木に傷をつけてご飯を食べさせ、今年の秋に実がしっかりなることを祈願する意味合いがあるそうです。
なんて不思議な習わし…。初めて見た人はこの奇妙な儀式に戸惑ってしまいますよね。
『柿の木なれなれ』のはやし言葉も、大岩地区の場所によって少し異なっているそうで、別のところでは「東の枝にもなーれなれ、西の枝にもなーれなれ、やすきん金○ま(←放送禁止用語)ぶーらぶら」と歌ったりもするそうです。この放送禁止用語版の方が子どもたちにとってはテンションがあがるかもしれませんね。
ちなみに、『やすきん』とは人の名前で、昔この地区にヤスキンさんというお爺ちゃんがいて、いつも○ンタマぶらぶらしていたんだとか(笑)
何はともあれ、不思議で愉快な大岩地区の小正月行事が今年も無事に終了し、最後は公民館に集まって手作りのぜんざいをいただきます。このぜんざいがとっても美味しくて…私は2杯おかわりしました。
準備から行事の実施、そしてこの宴会まで2時間半ほどで終了し、大岩のみなさんの団結力と手際のよさに感動してしまいました。やっぱり、祭りや伝統行事をしっかりと続けていらっしゃる集落は、必ずみなさんまとまりが良く、人も良く、働きものが多いなあという印象です。初めて訪れたヨソモノの怪しい私にもとっても優しくしてくださいました。大岩地区のみなさん、ありがとうございました。
さて、柿の木なれなれでたくさん傷つけられたあの柿の木…本当に実がいっぱいなるのでしょうか?
今年の秋に、また見にいってみることにします。
今後も熊本の主に県南地域に残る、祭りや暮らしに根付いたマニアックでユニークな「食」をご紹介します。
2019年3月まで八代市坂本町(旧坂本村)に住んでいましたが、現在は水俣市の旧久木野村へ。
ふるさと坂本をこよなく愛し、ケーブルテレビの仕事を通じて知り合った地域のじいちゃんばあちゃんの家に勝手にあがって縁側でお茶をすることが一番幸せを感じるとき。
自称、「集落の奇祭研究家」。明日はあなたのムラのマニアックなお祭りにお邪魔しているかも。現在は、主人が発行している『水俣食べる通信』の広報部長も務めています。
集落とまつりのなかにある食文化03
熊本県南部に残る、祭りや暮らしに根付いたマニアックでユニークな「食」を紹介するこのコーナー。
今回も、私のふるさと坂本町のお話です。坂本では、毎年11月に町をあげての一大イベント『ふるさと祭り』が開催されます。簡単に言えば、秋の収穫祭です。
がしかし、坂本のこの祭りでは異常なまでにある食べ物の販売が目立ちます。少し会場を歩くと目にするのは
あれ、
ここにも!
え〜!! またここにも
そう、「ぼたもち」なのです!
坂本には地域振興会とよばれる自治組織が8つの地域ごとにありますが、その全ての地域振興会でぼたもちを販売しています。しかも、それぞれの地域オリジナルの作り方なので、見た目も味も食感も微妙に違っていて面白い!
↑ちょっとププっと笑っちゃうようなネーミングも。
(坂本町にある、日本の棚田百選のひとつ「日光の棚田」にちなんで名付けられたようです)
祭りの開始は9時半なのですが、なんと会場には朝8時すぎからぼたもちを買うために並ぶ人だかりが!!
一番大人気、百済来地域振興会が販売するぼたもちです。
実はこの百済来地域が、近年の坂本町のぼたもちフィーバーのきっかけとなったともいわれています。
というのも、今から20年ほど前は百済来地域振興会が祭りの会場で杵と臼でぼたもちをついて実演販売するのが名物となっていました。その頃から百済来のぼたもちは大人気で販売直後にすぐ完売。あまりにも好評なので、ここ数年では他の地域振興会でもオリジナルのぼたもちを販売するようになりました。それでもやっぱり百済来地域振興会のテントは毎年びっくりするほどの行列ができ、即完売するのです。
では、その人気の秘密は一体なんなのでしょうか。
私は今回こっそり、百済来地域振興会のぼたもち作りの会場に潜入してきました・・・!
11月9日土曜日、夜8時。ふるさと祭りの前夜です。
百済来地域振興会のぼたもち作りは、現在は廃校となってしまった旧・久多良木小学校のランチルームで行われます。地域へのお知らせには「午後8時よりぼたもち作りを開始します」と書いてありましたが、私が到着した8時にはとっくに始まっており、というかもう数十パック分のぼたもちが完成していました。
みなさん、一体何時に来られたのでしょうか・・・。
百済来のぼたもち作りのすごいところはなんといっても、機械を一切つかわず全ての工程において手作業、そして地域の方が全員ボランティアで協力をしているというところです。
そもそも、坂本で販売される『ぼたもち』は世間一般的に言う『ぼたもち』と少し違っているかもしれません。春のお彼岸に食べる、もち米を蒸かしてつぶしたものを餡子で包んで丸めたものを『ぼたもち』として認識している方が多いと思いますが(もちろん、地域によってさまざまな『ぼたもち』があるかと思います)坂本で言われている『ぼたもち』は、まず普通に白いおもちをついた後に、蒸かしたお芋をつぶしたものを入れ、さらにねっとりするまで混ぜあわせます。
その生地に餡子を包み丸めた後、きな粉をまぶして完成です。
百済来地域振興会ではこれを全て手作業で行い、そして何百パックも作らないといけないので、かなりの人手が必要です。毎年、まだ夜が明けない早い時間から集まってぼたもち作りをされていましたが、年々百済来のみなさんのぼたもちへかける想いが熱くなってきており、集合時間が早くなっているそうで、ついに今年は日付が変わる前からつきはじめることになったそうです。
もち米と芋を蒸かす人、もちをつく人、餡子を丸める人、餡子を生地に包んで丸める人、パックに詰める人、とみなさんとても手際よく、素晴らしいチームワークでそれぞれ作業がすすめられていきます。
今年はこんな可愛いお手伝いさんも。
小学校も廃校になり、このように地域のみなさんが顔をあわせる機会も少なくなってしまった今、この年に一度のぼたもち作りは懐かしい顔ぶれとの再会を楽しむ貴重な場にもなっているようです。「小学校の時のPTAのメンバーがたくさんおって、あの頃を思い出した~」と嬉しそうに話すお母さんも。顔なじみの仲間と昔話に華を咲かせながら丸めるぼたもちには、地域の思い出と愛情がたくさんつまっているのです。
さて、そんなわけで百済来地域振興会がきっかけとなり、今ではすっかり「坂本=ぼたもち」のイメージができあがっているわけですが、実は百済来ではなく別の地域に「ぼたもち発祥の地」があると言われています。坂本町の中谷地域にある、小崎地区です。
小崎地区ではなんと、通称「ぼたもち祭り」と呼ばれるお祭りが毎年12月15日に行われています。厳密には山の神祭りですが、この日山の神様へお供えされるのが『ぼたもち』なのです。
しかしこのぼたもち、よく見ると・・・
坂本のスタンダードなぼたもちと見た目が全然違うのです!
そう、餡子が外についていますよね。
もちろん、生地にはお芋がしっかり練りこんでありますので、やわらかくてとろけるよううな食感です。
小崎地区ではずっと昔からこの『ぼたもち』を山の神様へお供えするという伝統を守り続けています。以前は全世帯で祭り当日にぼたもちを作っていたんだとか。みなさん、坂本町の真のぼたもち職人です。ふるさと祭りの会場で、餡子が中にはいったスタイルのぼたもちがどんなに売れても、小崎地区は絶対に餡子は中ではなく、外なのです!(笑)
そんなぶれない小崎地区のぼたもち。一度は食べてみる価値アリです!
さて、ぼたもち大好き坂本桃子、つい長くなってしまいましたが百済来の美味しいぼたもちの秘密、そして坂本とぼたもちの知られざる歴史、みなさんお分かりいただけたでしょうか。今度坂本でぼたもちを食べる時はより一層、美味しく感じるかもしれませんね!
今後も熊本の主に県南地域に残る、祭りや暮らしに根付いたマニアックでユニークな「食」をご紹介いたします。
2019年3月まで八代市坂本町(旧坂本村)に住んでいましたが、現在は水俣市の旧久木野村へ。
ふるさと坂本をこよなく愛し、ケーブルテレビの仕事を通じて知り合った地域のじいちゃんばあちゃんの家に勝手にあがって縁側でお茶をすることが一番幸せを感じるとき。
自称、「集落の奇祭研究家」。明日はあなたのムラのマニアックなお祭りにお邪魔しているかも。現在は、主人が発行している『水俣食べる通信』の広報部長も務めています。
集落とまつりのなかにある食文化02
熊本県南部に残る、祭りや暮らしに根付いた
マニアックでユニークな「食」を紹介するこのコーナー。
今回は、私のふるさと坂本町の百済来(くだらぎ)地域で古くから受け継がれている
『きゅうり祭り』をご紹介します。
集落の田植えもすっかり終わった6月11日。
舞台は坂本町百済来の小川内(おかわち)地区です。
ここの地区公民館で毎年恒例の行事『きゅうり祭り』が行われるとのことでお邪魔してきました。
と言っても実は私は去年も参加させていただいたので、今年で2回目の参加となります。
このきゅうり祭りがなんとも不思議で…
いや、奇妙で…?
奇妙とか言ったら失礼かもしれませんが、本当に謎だらけの摩訶不思議なお祭りなのです。
一体どのあたりが不思議なのか、これからみなさんにお伝えしたいと思います。
公民館に到着したら既にきゅうり祭りの準備が整っており、
集落のみなさんが続々と集まっていました。
さて、テーブルの上をのぞいてみると、、、、、
ありました!!
え!きゅうりしかない…
あ、みょうが饅頭もあった。(ほっ)
みょうが饅頭は八代地域(もっと南の方もあるかもしれませんが)のこの季節の郷土のおやつです。
あんこの入ったお団子をみょうがの葉っぱで巻いて蒸したもの。
みょうがの葉の香りがして、とっても美味しいのです。
…おっと、今回はみょうが饅頭の話は置いといて、
きゅうりの話にもどります。
さて、こちらの器に入ったものは「にんにく味噌」です。
味噌にすりおろしたニンニクと、砂糖を混ぜたもの。
これをきゅうりにつけて食べるのです。
いよいよ始まった、きゅうり祭り。
何をするかというと、みなさん、もうお分かりですね。
え~!!それだけかい!とビックリされた方も多いかもしれません。
がしかし、本当にただ、用意されたスライスきゅうりやスティックきゅうりを食べるだけなのです。
去年、初めてこのきゅうり祭りにお邪魔することになった時、
私はとても意気揚々と、きっと何かすごい意味があるにちがいない!
面白いいわれがあるにちがいない!と、「なにか」に期待して参加しました。
しかし、その「なにか」はありませんでした。
私は、集落のみなさんにそれはそれはしつこく聞きまくったのです。
「どうしてきゅうりを食べるのですか!?」
「いつからきゅうりを食べるようになったのですか?」
「川祭りとか河童は関係ありますか!?」
しかし、かえってくる答えは
「わからん」「意味はなか」「昔からしよるだけだけん…」。
え~!本当に~!?ととてもがっかりしていまいましたが、
逆に意味がないのに、やっている本人たちも意味が分からないけど
ずっと途絶えず毎年続いているってすごいことだよなって更に興味がわいてきました。
この小川内地区も過疎化・高齢化がかなり進んでおり、子どもの姿はみられません。
集落は普段はひっそりとして、道を歩いていてもほとんど人に出会うことがありません。
そんな中でこのような祭りが行われ、ほぼ全世帯の住民が
一堂に集まることはとても貴重な機会なのだと、あるお母さんが教えてくださいました。
「こやん時しかみんなで顔ば合わせんけん。よかたいね。」
その言葉を聞いて、少し私はこのきゅうり祭りの意味を、意味はないのだけれども、
ずっと続いている理由が分かった気がしました。
少しだけ補足情報ですが、以前はこのきゅうり祭り、
近くにある山の神様の前で行っていたようです。
当時は子どももたくさんいたため、土俵をつくって子ども相撲を奉納し、
山の神さまにも鯛と鮎、そして麦の粉を挽いてはったい粉にしたものをお供えしていたそうです。
もう50年くらい前の話で、夕方から行っていたような…と、
まもなく80歳を迎えるお母さんが話してくれました。
子どもがいなくなり、人口も減り、祭りのスタイルは随分と様変わりしましたが、
それでもみなさん、きちんと毎年6月11日に集まり、ただただきゅうりをひたすら食べる。
そんな小川内地区のみなさんの生き方、暮らし方を知ると、
生きていくうえで本当に大事なことって何なんだろうと、いろんなことを考えさせられたのでした。
今後も熊本の主に県南地域に残る、祭りや暮らしに根付いたマニアックでユニークな「食」をご紹介いたします。
2019年3月まで八代市坂本町(旧坂本村)に住んでいましたが、現在は水俣市の旧久木野村へ。
ふるさと坂本をこよなく愛し、ケーブルテレビの仕事を通じて知り合った地域のじいちゃんばあちゃんの家に勝手にあがって縁側でお茶をすることが一番幸せを感じるとき。
自称、「集落の奇祭研究家」。明日はあなたのムラのマニアックなお祭りにお邪魔しているかも。現在は、主人が発行している『水俣食べる通信』の広報部長も務めています。
集落とまつりのなかにある食文化01
私は八代市出身(旧坂本村)です。
毎年5月の終わり頃になると、八代はある食べ物のことで町中ざわつき始めます。
SNSを開くと、タイムラインはその「ある食べ物」の写真で埋め尽くされ…。
きっと八代の方なら、うんうん、と頷いていただけるのではないでしょうか。
それはナニかと言いますと!
白くて、まるで雪のようで、中にはあんこが入っていて…
そう、こちら『雪餅』です。
八代市外のみなさんもご存知でしょうか?
この雪餅、毎年5月31日から6月1日の朝方にかけて行われる
「氷室祭(ひむろさい)」というお祭りでしか食べることのできない
なんとも貴重な幻の!?お菓子なのです。
その雪餅が登場する氷室祭の舞台となるのは、八代神社。
地元では「妙見さん」と呼ばれ、親しまれています。
毎年11月23日には、ユネスコの無形文化遺産にも登録された「妙見祭」で賑わう、歴史ある神社です。
その妙見さんで5月31日の夕暮れから翌朝までオールナイトで
「氷室祭(ひむろさい)」というお祭りが開催されます。
決して、氷室○介のファンが集うイベントではありません。
私は八代出身でありながら、実は今年生まれて初めて、氷室祭へ行ってきました。
午後9時頃到着しましたが、神社一帯は人でごったがえしていました。
参道にはたくさんの人が参拝のために並んでいます。
氷室祭は厄除けに良いと言われており、その年の厄年の方も多く参拝に訪れます。
ちなみにうちの主人も今年が本厄。長い行列でめげそうでしたが、しっかり参拝してきました。
さて、それでは本題の「雪餅」についてです。
氷室祭では雪餅を販売する店舗が何か所もあり、どこもたくさんの行列ができていました。
さすが一夜限りの幻の名菓!
八代のみなさん、「氷室祭に来たら雪餅ば買わんば帰られんたい!」といった感じでしょうか。
私たちは一番最初に目にはいった店舗へお邪魔し、少し雪餅作りを見学させていただきました。
たくさんの女性がテキパキと手際よく雪餅を製造されていました。
雪餅には米粉をつかいます。
米粉の割合は半分だったり全て米粉で作ったりと店舗にもよるようですが、
どこの雪餅にも中にはあんこが入っています。
型に入れ、せいろで蒸して完成です。
そしてこれが、蒸したての雪餅!う~ん美味しそう!!
雪餅はその名のとおり、雪に見立てたお菓子です。
もうすぐ夏、という時に、なぜ雪!?
実は、かつて八代城主だった細川忠興が隠居生活中に暑い夏を越えるため
この付近の山の氷室(冬の氷を夏まで貯める室)の雪を
住民が献上したという故事に由来しているそうです。
しかし、しかし!
5月31日と6月1日ってまだまだ夜は涼しいし、
暑い夏というには早すぎるような気がしませんか!?
旧暦の6月1日だったらつじつまが合う気がするのですが、
元々は旧暦の6月1日だったという話があるようです。(勉強不足ですみません)
米粉なのでもちもちとしており、特に蒸したては格別です!
もちろん、時間がたっても美味しくいただけます。
雪餅が食べられるのは、このお祭りが開催される5月31日から6月1日にかけての一晩だけ!
と先ほど言いましたが、ここ最近の八代では氷室祭シーズンになると
町中のお菓子屋さんやケーキ屋さんでもオリジナル雪餅が販売されています。
今では氷室祭に行かなくても雪餅を食べることができるくらい、地元では雪餅文化が根付いているようです。
そんな数あるお店の中で、今回は特別に「黒川製菓」さんの雪餅をご紹介します。
(本当はいくつか紹介したかったのですが、黒川さんしか今回紹介できずごめんなさい)
「黒川製菓」は創業150年、八代の超老舗の和菓子屋さんです。
入口には、「雪餅」の貼紙が。
黒川製菓さんといえば、なんといっても「どらやき」が名物。
雪餅の話なのにいきなりどらやきを登場させてすみません。
でも、本当に黒川さんのどらやきは普通のどらやきと一味もふた味も違うのです!!
大きさも手のひらに乗る可愛いサイズ。
生地もふわふわ~で、しっとり。
あんこもとても上品な味で、つい何個でも食べてしまいそうです。
ま、実際食べてしまいますね、これは。ヤミツキどらやきです。
さて、話を雪餅に戻します。
そんな黒川製菓さんの雪餅は、こちら。
黒川さん曰く、「最高級の熊本県産の餅粉を数種類ブレンドした生地」だそう。
もうこれがですね、とにかくもちもちで美味しいのです…!
そんな素晴らしい和菓子たちをつくる、黒川製菓株式会社5代目の黒川健作さん。
最近はメディアからの取材が絶えず、すっかりメディア慣れしているご主人です。
「取材!?喜んで!どんとこい!」
※本当はそんなこと一言もおっしゃっていません
黒川製菓さんは今年は6月上旬頃まで雪餅を製造されていました。
毎年氷室祭の現地には出店されませんので、店舗のみでの販売となります。
氷室祭から随分時間が経ってしまって、
今年の八代の雪餅ブームは過ぎ去ってしまいましたが、
また来年!
この時期が近づくと八代では雪餅の話題で町が賑わうことでしょう。
雪餅を食べたくなったみなさん、来年は是非、氷室祭へお越しくださいね!
そして、祭り当日でなくても八代で買うことができる雪餅もたくさんありますので、
お気に入りのお店を見つけてみてください。
今後も熊本の主に県南地域に残る、
祭りや暮らしに根付いたマニアックでユニークな「食」をご紹介いたします。
【今回登場した場所・お店】
八代神社(八代市妙見町405)
黒川製菓(八代市出町1-5)
2019年3月まで八代市坂本町(旧坂本村)に住んでいましたが、現在は水俣市の旧久木野村へ。
ふるさと坂本をこよなく愛し、ケーブルテレビの仕事を通じて知り合った地域のじいちゃんばあちゃんの家に勝手にあがって縁側でお茶をすることが一番幸せを感じるとき。
自称、「集落の奇祭研究家」。明日はあなたのムラのマニアックなお祭りにお邪魔しているかも。現在は、主人が発行している『水俣食べる通信』の広報部長も務めています。