集落とまつりのなかにある食文化09

宇土市佐野山王神社の祭礼「甘酒祭り」

熊本県南部に残る、祭りや暮らしに根付いたマニアックでユニークな「食」を紹介するこのコーナー。今回、宇土市でなんとも珍しい「奇祭」があると聞きつけた筆者は、どうしても行ってみたくなり、初めて県南エリアを飛び出して取材へ行ってまいりました!

それが…

【佐野山王神社の祭礼「甘酒祭り」】

宇土市の中心部から車を約10分走らせると、とてものどかで静かな地域、花園町佐野地区にたどり着きました。ここに古くから鎮座している「佐野山王神社」が、今回の祭りの舞台です。

実は今回の祭り、ここ「山王神社」の年に一度の祭礼で、別名「甘酒祭り」とも呼ばれています。その名のとおり、甘酒がとても重要で、なくてはならないアイテムです。

取材をすすめるととても奥が深く、祭りの長い歴史の中でしっかりとしきたりが守られ、受け継がれていることが分かりました。これを読んでいるみなさんには特別に、その知られざる「甘酒祭り」の秘密をお伝えしたいと思います…!

 

【山王神社の使いの猿が、甘酒持って大暴れ!?】

時刻は午後1時をまわり、祭りの始まりの時間になりました。
たくさんのギャラリーがカメラを抱えて、あるものを撮影するために、今かいまかと待機しています。

さて、一体何がやって来るのでしょう…!?

ついにやって来ました!赤い着物を着て、頭に白い手ぬぐいを被った人が続々と集まってきます。ん、これは…

人?

いいえ、これは人ではありません…。
猿なのです!

猿に扮しているのは、ここ佐野地区に住む30歳までの男性のみなさん。

どうして猿なのかというと、この山王神社が猿を使いとする「山王権現信仰」と深い関わりがあるからで、甘酒祭りにおいての「猿」は神聖な存在として重要視されています。この猿たちが、とっくりに入った甘酒を奪い合い、神社や集落で甘酒をばら撒き、とにかくお祭り騒ぎで大暴れするのが「甘酒祭り」です。

ここでの「猿」は、年齢によって階級が分けられています。今年数えで30を迎える男性が「親ザル」。30歳になる者であれば何名いても全員が親ザルとなります。(30歳の者が不在の年は、最年長の者が親ザル)

<親ザルはいつも高い場所に偉そうに座っています>

そして25歳以上はサルの中老、25歳以下は子ザル。ちょうど25歳になる者が子ザルの頭である「青年長」と呼ばれます。ちなみにその年に初めて参加する一番若い男性は「新ザル」とされ、移動の際に荷物を運んだり、とっくりへ甘酒を補充したり、とにかく雑用係で大忙しです。

<とっくりに甘酒を補充する新ザル>

猿の上下関係は極めて厳しく、何をするにも全て絶対的な存在の親ザルの許可が必要です。そして子ザルや新ザルが仕事をきちんとしていなければ、親ザルが大声で怒鳴りつけ、とにかく厳しく注意します。

【「あまってもよかですか!」あまるって…何!?】

祭りは、まず神社の境内でお神酒を2升飲むところから始まります。

今年の甘酒祭り、参加している猿は全部で6名。6名で2升って結構な量ですよね。

さて、お神酒を飲んでほろ酔いになったところで、子ザルが「あまってもよかですか~!!」と大きな声で叫び、親ザルにお伺いを立てています。

「あまるって何!?」と私の頭の中に(?)マークが浮かんだまま、しばらく祭りの様子を眺めていると、いたるところで住民からこの「あまる」「あます」というキーワードが聞こえてきます。

『今どこであまりよらすと~?』『まだ、あまりよらすとかな~?』といった風で、どうやらこの甘酒祭りでの猿たちの儀式…とっくりに入った甘酒を奪い合って、かけあうこと自体を「あまる(あます)」と呼んでいるようです。

神社でも「あまり」、地区の氏子の御宅でも「あまり」、いろんなところで「あまる」猿たちですが、毎回いちいち親ザルの許可が必要で、許可がおりると「ホーライ、ホーライ」と言いながら甘酒の入ったとっくりを奪いあって、最後に奪い取った猿が命がけでそこらじゅうに甘酒をふりかけます。

この甘酒がかかった人や家は栄えると言われており、とても縁起の良いことなのです。

【甘酒祭りに登場する「食」】

この祭りで一番重要な物は、もちろん「甘酒」です。佐野地区には100世帯以上あるそうで、1軒から1本の甘酒がこの祭りのために用意されます。というわけで、100本以上の甘酒が毎年使われるのです。今はペットボトルの1本ですが、かつてはビール瓶(一升瓶)1本だったとのこと。それでも若い男性が多い時代、つまり猿がたくさんいた頃は、全員に盃(さかずき)がまわらないこともしばしばだったとか。

そしてこの祭りでは甘酒の他にもさまざまな「食」が登場します。祭り自体は4日がかりの一大イベントで、いろんな決まりや作法があるのですが、祭り関係者は一貫して「精進料理」をつくったり、食べたりします。

例えば、祭り前日には「母山」と呼ばれる佐野山王神社の母君が祀ってある山へ行き、生の米粉の団子や甘酒をお供えするそうです。今年、その担当だったという方からご丁寧に教えていただきました。

なんと、きちんと手順がまとめられたものが受け継がれており、それを参考にお供えをしてきたとのこと。素晴らしいですね。

また、祭り当日の朝は神社で神事が行われますが、その際にお供えされるお膳にもさまざまな決まりがあります。まず、お膳の数は全部で14膳。これは神様が7人いるとされるためで、しかも1の膳、2の膳とあるため計14膳用意するそうです。料理の内容は赤飯・生だご・ぜんざい・青菜(ほうれんそう)・ゆでた団子(あずきの煮たものをかける)で、お膳は全て「左膳」と決まっています。これは、猿が左利きであるからと言われており、佐野地区のみなさんはその決まりを今でもしっかりと守っています。

そして、猿が「あまる」際に、全ての場所で登場するのが「モリバチ」と呼ばれる酒の肴。これも精進料理と決まっており、内容としてはつけあげ・ごぼう天・からし蓮根・お煮しめなど。しかし近年は住民が減り、このモリバチを用意するのも負担が大きいため、猿たちが「あまり」に行く家庭全戸統一で、買ったものを用意しているそうです。


もしかしたら昔よりとっても豪華!?でもよく見てください、肉や魚は不使用。すべて精進料理です。

しかも、これを全て食べ終えないと甘酒の奪い合いや次の家庭へ「あまり」に行くことができない為、猿の人数が少ない今年はなかなか苦しそう…

ギャラリーにも「お願い、食べて」と助けを求める猿>

【古くからの言い伝えを侮るなかれ】
今回取材中、一人の素敵なマダムと出会いました。なんと、今年親ザルを務める一人の猿のお母さんでした。すなわちボス猿!?いやいや、失礼しました、この祭りにとても熱心で孫が5人もいるおばあちゃん!(見えないです)

このお母さんは若くしてここに嫁ぎ、お姑さんからこの甘酒祭りの「いろは」をたくさん学んだそうです。祭り期間中は精進料理を食べるなんて当たり前!というわけで、この日もご自宅用にこんなに豪華な精進料理が!

全て一人でつくったそうです。

お姑さんから受け継がれたこととして、祭りで使うお皿は全部塩で清めるようにと厳しく言われていたとのこと。かつてはこのように、全て手作りで自宅に「あまり」に来てくれる猿たちへモリバチをお出ししていたわけですね。

また、代々伝わる話に、『猿の赤い着物を女性が触ってはいけない』というものがあるそうです。実際に以前、一人の女性が触ってしまった後に、包丁で指を切ったことがあったのだとか。古くからの言い伝え、侮れません。

それにしても昨年はコロナウィルスの影響で中止となったこの祭り。

2年ぶりの開催となりましたが、ちょうど30歳、親ザルで祭りが最後となる息子さんの晴れ舞台にとっても喜んでおられたお母さんでした。

【そして伝統は受け継がれる】

さて、ここまで甘酒祭りのマニアックなネタをお伝えしてきました。実はまだまだ、住民のみなさんや祭りを運営している「山王組」と呼ばれる役のみなさんから聞いた「おそるべし!」な話があるのですが、今回はここまでにしておきます。

祭りの取材をしている間、ひときわほっこりとした光景があります。それは、地区の小さな子どもたちが終始、猿たちについてまわり、一緒に「ホーライ!ホーライ!」と掛け声をかけていたことです。

『いつか自分も猿になって、ここで「あまり」歩くんだ…!』とでもいうような憧れのまなざし。私は思わず一人の少年に聞いてしまいました。

『僕も大きくなったら猿になるの!?どう!?やってみたい?』

『はい、いや…ちょっと…やりたくない…』

え~!!!!

今後も熊本県内の祭りや暮らしに根付いたマニアックでユニークな「食」をご紹介いたします。

この記事を書いたひと

坂本桃子

2019年3月まで八代市坂本町(旧坂本村)に住んでいましたが、現在は水俣市の旧久木野村へ。
ふるさと坂本をこよなく愛し、ケーブルテレビの仕事を通じて知り合った地域のじいちゃんばあちゃんの家に勝手にあがって縁側でお茶をすることが一番幸せを感じるとき。
自称、「集落の奇祭研究家」。明日はあなたのムラのマニアックなお祭りにお邪魔しているかも。現在は、主人が発行している『水俣食べる通信』の広報部長も務めています。

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